長いうえにウザい

眠ったのが今朝の11時くらいで起きたらバイト行かにゃならん時間だったのでジャケットだけ羽織って外に出る。3日ぶりくらいに外に出たら寒かった。寒いのはよろしいね。雪とか積もってくれたらいいのに。ぱらぱらと雪が降ってきただけで大はしゃぎする大阪で雪が積もったなんてことになったら、ボクはウヒャーなんて奇声をあげて外に飛び出す。そんでまだ誰も触ってないまっさらの雪をぐちゃぐちゃ踏んで歩く。あとは炬燵に入ってビールを飲む。ステキ。まあ、ビールはどんなシチュエーションで飲んでもステキなんだけれど。
バイト中はずっと独り言ちて過ごした。まあ、今から「今日からブログ始めましたー。悩んでる。どうしたらいいかなぁ」、しるか、っていう文章書くと、今朝方に自分はひさしぶりに悩み生まれきてすいませんと思い、煙草の葉をふりかけにご飯をかきこもうとしたのだけど時間が無かったのでしなかった。
自分は近い将来ということをあまり考えなくて、おじいちゃんになったときのこととかをよく考えます。それは常に死というものが頭にあるからです。小沢健二とか真心ブラザーズを聴くことで鬱屈した気分が少し上向いたりもするんですが、この線路を降りたらすべての時間が魔法みたいに見えるかということは絶えず頭から離れず、それはつまり生への執着のようなものだと思ってます。mixiのほうで少し書いたんですが、少し前に飼っていた猫が死んで、それなのにボクは学校行ったり友達と喋ったりへらへらしたりしてて、なんでやねんとなってダウンしてしまいました。そん時にも死ということについて必死に考えて、やがて自分は「考えるからあかんねや。考えんな」という結論に達して、精一杯考えないようにすることを考えて死にました。ここまで読んでくれてる人には何言ってんだこいつとしか思われない文章書いてる。
ボクはサンボマスターよりも小沢健二を好んで聴く人間なんですが、ジャンル的にはサンボの方が好きだったりします。じゃあ何でオザケンなんだって、それはサンボのほうはエモっていうんですか?しらんけど、まあそういうので熱く叫んでいるわりには言ってることは普通で、そのストレートさが皆さんの心をとらえてるんでしょうけど、ボクからしたら「わかってるから黙ってろよ」つう話になるわけです。嫌いとかではないし共感できる部分も多々ありますが、それだったらボクはオザケンの『ある光』を聴く。
テレビ見ながら腹減ったのでピザでもとるかつって奇跡の電脳箱であるところのパソコーンをがちゃがちゃやり注文。その間にビールでも買いに行くかって着の身着のままコンビニエンスストアーとかにてくてく行きビールを3缶購入し、あと雑誌とかを物色して、でしばらくスタンディングリードったりして、帰ったらピザ屋がもう来てて、すんませんとか言って金払って、部屋に戻ってまたテレビ見て爆笑しつつピザとビールをかっ喰らう。っていう生活がしたい。瀕死。