下書き広場

青い空。白い雲。絵に描いたような夏空。陽光できらきらと光る砂浜には波の音しか聞こえない。爽やかなその空間を一瞬で引き裂く、その音。

ドゴッ!

下着なのか水着なのか、はたまたパジャマなのかよくわからない、服と呼ぶには些か頼りない紫色をしたレース地の布を身にまとった女がにやけた顔で頭上まで持ち上げた大きな石は“さっきまで生きていたそれ”に当たり鈍い音がした。女はぴくりとも動かなくなった“それ”の元へ降りていくと笑顔で男に言った。

「美味しそうだよー」

「今日は肉だな」

「見つけたのは私やで。なんか『キューキュー』鳴いてるなあと思ったら、こいつが浅瀬に迷い込んでてん」

「はいはい、えらいえらい。わかったから引っ張りあげるぞ」

2人が協力して浜辺まで引き摺ってきた“それ”は、イルカだった。体長は1メートルほどで、全身灰色のそれはまだ成熟しきっていないスナメリで、おそらく餌を追って海岸近くまでやってきたところ、浅瀬にはまり抜け出せなくなってしまったのだろう。

「こんなところを“あいつ”に見つかったら面倒だな。おい、サオリ。早く小屋まで運んじまうぞ」

「はーい」

サオリと呼ばれた女は子供とはいえ30kgはあるだろうイルカを浜辺まで引き摺り、腰につけていたダイバーズナイフを取り出しイルカの肉を切る、というよりも裂いていった。そして手頃な大きさになると滴る血など気にする様子もなく、持参していたクーラーボックスへぶち込んだ。途端に辺りはむせかえるような死臭がたちこめたが、サオリは全く意に介する様子もなく表情一つ変えない。男は手伝おうとはしなかったが、それを眺めているのにも飽きたのか「ナイフはダイバーズナイフよりもフォールディングナイフのほうが切りやすいよ。要は折りたたみナイフで、10徳ナイフとか呼ばれているものもそれに入るな。ボクはビクトリノックス社のナイフが…」と妙な知識を披露し始めたが、サオリはあからさまにその話を聞き流し、粗方の作業が終わると残った肉塊を海へ捨てクーラーボックスを閉じた。

「これ持ってくのはトウイチ君の仕事やで」

男はまだナイフについての薀蓄を語っていたが、急に中断させられ「わかってますよ」と拗ねたように少し口を尖らせてクーラーボックスの紐を肩からぶら下げた。そして二人は砂浜とは逆の方向、小高い丘のようになっているところにあるバンガロー風の建物に向かって歩き出した。

「早くオオシマ君に料理してもらわなね」

「そうだね。このイルカの臭みがたまんないんだよね。要は…」

とトウイチがイルカについての薀蓄を語りだそうとしたとき、砂浜のほうから一人の男がやってきた。それが一番会いたくなかった“あいつ”だとわかると二人は焦り、そしてすぐに焦っても無駄だと気付き平静を装った。引きつった顔で妙ににこにこしている二人に男のほうから話しかけた。

「やあ、何してんの?」

「えっ、あっ、いやまあ、ちょっと散歩だよ。なあ」

「そ、そうそう、散歩やで。天気もいいしね。ところでパパは?」

「そりゃあボクは魚と遊んでたよ。その為に2週間も休みを使ってこの島まで来たんだからね。本当にこの島はスキューバするには最高のところだね」

「そ、そっか。じゃ、パパ。またね」

と言って二人は“パパ”の元から逃げ出した。魚をこよなく愛する彼にイルカを殺して食べるなんて言ったらどうなるかわからない。下手したらこっちが殺されかねないよ、とトウイチ君は冷や汗を拭いながら足早に歩いた。サオリもそれに続きながら「ところでなんであの人は“パパ”なん?」と質問した。

「しらない」

とトウイチ君は冷たく言い放ち、歩を緩めることは無かった。