小学生みたいな文章で真剣に

毎日生きてればそりゃあ辛いときとか悲しいときとかあります。けれどボクたちは日記を毎日書くわけで辛いときや悲しいときに「辛い」とか「悲しい」と書いていいのかちゅう話なんですよ。結論から言うとそういうの書くのは超いいです。いい。何も悪くない。日記なんだからその日の出来事、感情を素直に書くのはすばらしいことです。
じゃあ別にいいじゃねえかってなりますけれど、ボクが思うのは読んでいる人を心配させたり、不快にさせたりってのはいけないということです。不特定多数の人が読んでいるわけだから全員を不快にさせない感情の暴露ってのは難しいでしょうけれど、それでも書き方一つで変わるはずだし、そもそもそういう気持ちが大事なんじゃないでしょうか。
何でこんなこと書いてるかと言うと、最近自分の日記を読み返していて、すげえ露骨な文章もあれば何も無かったかのように振舞っている日とかあって、まあ自分の文章だからそれを書いた日の気持ちとか感情とかは手に取るようにわかるんですが、書き方によって大きく変わってしまうなあと思ったからです。
もっと言えば露骨に「辛い」とか「忙しい」アピールをしている自分てのはかなりかっこ悪くて、そういうのはあかんなあと思ったわけです。そういうこと書くときは普段の100倍くらいは気を遣っておもしろおかしく「辛い」アピールするべき。結局するのかよ。しますけど、おもしろおかしく書いてるほうが幸せになれる気がするし、幸せになりたいと思うからボクはそうします。たくさんの幸せを書いて、そして読んでくれる人が幸せな気持ちになってくれて、そういうのが生きる価値になるのです。今日も日記を書いて生きられた。明日も行きます。ご清聴ありがとうございました。これが政治。